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軍国少年の半世紀、そして結局...
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 今回は今までで一番疲れた。
そして今回はそこに登ることを目的とした連山の最高峰アタックを途中断念させられて下山することになった。
そして今回がもっと異例なのは、出発後に、本来目的とした連山ではない連山にアタック目標を変更したことなんだが、これも天候故だった。

 当所目的とした連山は八海のある連山で、ここは新幹線停車駅浦佐から直接アタック可能な位置にあり、東京との往復を考えると一番無駄な時間がないということと、これまで一度も登ったことのない山ということでここに決めた。

 この段階で候補に挙げていたのはこのほかに八幡平縦走(未走破)、岩手山の周辺(未走破)、浅草岳から烏帽子岳までの縦走(走破済み)、リザーブとして藤平山から烏帽子山までの縦走(未走破)だったんだけども、出発の前々日に岩手出身の友人から電話があって「八幡平に行くのなら盛岡まで一緒に行こう。」なんてなことを言われちゃった。
けど僕が山に行くのは色々理由があって、そんな中には「人と口を利くのがやだ。」ちゅうのもあったりする。
よってこの段階で八幡平及び岩手山は排除され、残る奥会津と上越の山の中から選ぶことになったという経緯があるんだが、後になって考えればこれが良かった。
盛岡まで行っちゃってたら気象状況でコース変えること出来なかったもんな。

 さて、浦佐駅に降り立った段階で既に気象状況は劣悪で、駅周辺ですら視界が100m程しかないくらいにガスッており、挙げ句の果てに吹雪だ。
そしてもっといけなかったのは「ゆきおろし」、こりゃまあフェーン現象によって発生する雷なんだが、これが絶え間なく光りそして轟いてるんだな。
まあそれほどに気圧変化の激しい状況だったわけで、これで超2,000m攻めれば死ぬるな、そう思って着いた段階で断念。
色々考えたんだけど、浦佐からそう時間かけずに移動出来るのは奥会津なんだが、浅草岳は知ってるだけにむりぽ...
となりゃ守門しかねぇよ。

 幸い上越線下りの次の発車までそう待ちはない。
45分ほど待って上越線下りに乗り、そこから数駅先の小出まで行ったんだが最悪だぞ、只見線が豪雪運休だ。
僕は色々旅をしてきているんだが、行って見なきゃ動いてるか動いてないかわからんような鉄道はこの只見線と宗谷本線くらいのもんだぞ!!(怒
しかしなぁ、小出から入広瀬まで歩くとすりゃ雪がなくったって5~6時間の道のりだ、そしてそんなとこ歩いた挙げ句に山なんか上がれっこねぇちゅうの!!!

 しょうがないから約30kmの道のりをタクシーで入広瀬まで向かったんだが、この親ぢの運転がまたこあいんだな。
僕だって普通の東京人に比べりゃ格段に雪道の運転には慣れちゃいるんだが、なんせこの親ぢ飛ばす、そしてガンガン追い越す。
この沿線も吹雪で道々除雪車が大量に出動して雪掻いてるんだが、この親ぢってば構わず減速もせんで追い越しまくるんだな。
「対向車来てたらどうすんだ!!」腹の底ではビビリながらも暫くは耐えていたがもう我慢できん!!
で思わず「運転手さん!!そんなに急がなくていいから!!」と穏健な申し入れをしたんだが親ぢいわく「お客さん山はいるんでしょ?この天気じゃ日のあるうちに登山道確保しないとまずいっしょ?」。
もうだめ、僕じーんと来ちゃったもんね。なんていい親ぢなんだ...

 なんだかんだで30分ちょっと走って入広瀬に着いたんだが、吹雪ではないにしろガスって視界は悪い。
料金は一万円ちょっとだったんだが、親ぢの厚意に感謝する意味をこめて2万円払って釣りはチップとした。

 さて、藤平山を目指して歩き始めたんだが、アプローチポイント中の三つ目の三差路を過ぎたちょっと先から除雪されてないんだな。
まだ駅から2km半くらいしか歩いてない、さりとて、このコースは最安全を前提としてプランしたコースであり、最も雪崩の起きにくい地形を縫うようにしてプランしたコースだから外れるわけにはいかんのよね。
しかたね~からここからスノーシューを履いて行くことにしたんだが、ここらで既に積雪1mだぞ、スノーシュー履いてたってなにしろ降ったばっかの雪だから膝の下あたりまで沈む。
第6ポイントまでは直線にして1km程度なんだが、予定外に時間がかかりここに辿り着いたところで既に日没だ。
そして、この辺りからいわゆる山麓から藤平山の本体に入るんから当然傾斜は次第に厳しくなり、しかも積雪が増えて行く。

 当初の予定では夜間は行動しないことにしていたんだが、このままでは追っつかないんであがれるだけは上がっておこうと、ちゅうか当所のプランでは藤平の山頂をベースキャンプにしようと思ってたので、なんでもいいから藤平までは辿り着こうと歩き続けた。
夏に比べて冬のいいところは水を持って上がらなくていいってことだな、雪だけはふんだんにある。
ただ後になってストーブを持って上がらなかったことを悔いたのは、雪ばっか食ってると体温下がるんだな。
丁度この頃に携帯から送ったのが「生存証明 」だな。

 そしてこの頃から風が出始め雷が鳴り始め少々ヤバ気な雰囲気になってくるんだが、丁度それから1時間後くらいに沢筋にはまって足が抜けなくなっちゃったのよん。
幸いか細い沢だから濡れるようなことはなかったけど、なにしろ雪が1m以上積もった中に中空のトンネルがあるわけだから、体の周りをなんとか沢の深さまで掘り下げないと足が抜けないから動けない。
結局これで随分時間を費やし、脱出して少し歩いたところで気力が萎えた。
それでビバークすることにしたんだけど、それが「ビバークで~す 」だな。
写真だけ見ると深そうにゃ見えんだろうが、あそこらで既に積雪は2mを超えてるんだもんね。

 で適当に周囲を踏み固めてテントを貼りにかかったんだが、仮貼りの状態でフライシートを出そうと思った途端強風でテントが吹っ飛ばされちゃったのよん。
なんちゅうこっちゃいな、残ったのはスノーフライだけだぞ、そしてなにより、飛んだテントは7万円もするやつなんだぞ!!「かえせ~!!」ったってあとのまつり、取りに行こうったって真っ暗闇の中でヘッドランプだけが頼りじゃ沢筋に落ちるのやだし吹きだまり乗り越えなきゃ行けそうにないしむりぽ...
しょうがね~から踏み固めた場所を掘り下げで、残ったフライの端っこを雪ん中に埋めてなんとか雪と風をしのげる空間は確保したんだが、その後は「あけおめ」になんとなく書いたような長閑な状況ではなく、かなり過酷だった。

 そして、ここにいる間にニューイヤーコールが何発か入ったお陰で携帯電話はバッテリー切れだ。
そしてなんとか睡眠はとったんだが、まずいことにシュラフが少々濡れてしまったんだな。
これは元旦の5時半頃目が覚めて気がついたんだが、垂れ下がったフライから雪が吹き込んでた。

 5時半ていえばまだじゅうぶん暗いんだが、予定より遙かに遅れてるんで行動を開始、約600mの道のりに4時間かかってなんとか藤平山頂には辿り着いた。
本来ならここにベースキャンプを設営する予定だったんだが、テントを飛ばされちゃったんで張りようがないわな。
そしてここから守門の山頂までは尾根筋を辿る実走距離で約1.6kmある。
問題はザックなんだが、テント貼れれば置いて行けるけど張れなきゃそうはいかんわけで、担いで歩くことにした。
しかし雪が深いのよ。
一番雪崩の危険のないコースを選定してあるんで、他からアプローチするよりゃ勾配は緩いんだが、雪が深いのが堪える。
600m程進んだ所でGPSで確認して気がついたんだが、どうも途中から尾根筋外しちゃったんだな、よって吹きだまりを行軍してたっと。
腰くらいまで沈みながらラッセルするわけだからいくら足を動かしても前に行くよりもその場足踏み状態の方が長いw

 そうこうしている内になんとか山頂まで300mくらいの所までは辿り着いたんだが間もなく日没だ。
相変わらず雪は止まね~し風はより強い。
しょうがね~からビバークすることにしたんだけど動きを止めた途端に体温が下がってくんだな、当たり前だけど、そして悪いことに前の晩にシュラフをぬらしちゃったからよけい暖まらない。
こんなこともあろうかとホッカイロをショップ99でたんと買っては置いたんだが、これも役にはたたんのだな。
「このまま熟睡すれば明日の朝は目がさめんだろう?」まあいわゆる凍死ってやつなんだが、こんな所で凍死すりゃ春になって山菜採りの爺さん婆さんが入ってくるまで発見されんぞ。
そしてめっかった時には貉や狐に囓られて白骨死体化したあとさw
しかし山頂は目と鼻の先だしなぁ...

 ヒャーって風の音とフライシートに雪が落ちてくるサクサクって音を間近に聞きながら一時間ほど思案したけど寒さと疲れで思考力が低下してきてて結論出ね、携帯バッテリー上がっちゃってるから気象概況もわかんね...
色々考えた結果、今一番したくね~選択をすることにした。
それは下山なんだが、二度目だ。

 一度目を僕はまだ引き摺ってるんだよね、それは何時か書いた恐山の諸峰なんだけど、これでまた引き摺る山が一つ増えるんかよ。
一度目は通りすがりに偶然登り始めただけで準備も計画性もなんにもなかったからまだ笑えるけど、これは周到に計画したプランの中でも更に一番安全策だったコースなんだ罠、しかも誰も知らんような他愛のない山だぞ。
けどこれで進む人はきっと遭難する、これが僕の平時の常識でもあるから、もう一回トライし直しゃいいじゃん、ラッセルルートが完全に消えてしまう前に下山しようぜ、こんな風にもう一人の自分に言い聞かせて下山を決意した。

 これが元旦の夜7時頃だ。
幸いまだかすかに登ってきたラッセルルートが残ってる、それを外れないように踏みしめながら下山を開始したんだが、登る時は目標があるから力が出るんだが、下る時はダメさ、ましてや挫折して下山するんだから力なんか出ようはずがない。

 多寡の知れた山の、しかも下りのコースに6時間もかかって入広瀬の魚沼市役所前に着いた頃には真夜中さ。
蕎麦屋があってね、電気がついてるし暖簾も出てる。
そして店の人が店の前の雪かきやってるんだな。
でダメ元で「蕎麦食わせてくれませんか?」っと尋ねたんだが、断られた。(当たり前すぎ)
しょうがね~から「駅はどっちです?」って聞いたらば、この兄ちゃんも変なやつで「駅っすか!わかりにくいとこだから車で送りますよ!」っときた。
当然僕は固辞したんだが、兄ちゃん人の言うことなんか全然聞いてなくってさ、車を引っ張り出して来やがんのよ。
で無理矢理車の中の引きずり込まれて駅まで運ばれたんだが、確かにわかりにくい、ちゅうより誰もこんなもん駅だと思わんぞちゅうような駅だ。

 御礼を言って、少々失礼とは思ったがタクシー代替わりにと千円渡そうとしたんだが受け取らん。
その理由が「蕎麦を食わせられなくて申し訳ない。」ちゅうんだな、そして僕がこのまま駅舎で寝るというと「こんな寒いところで寝て風邪でもひいちゃいけないから家にとまんなさい。」っと言う。
なんていい人なんだよ、でもさ、僕のような風体の怪しいどこの誰ともわからん様な奴を泊めるなよ。
これも固辞して兄ちゃんにてんこ盛りの礼を言い、兄ちゃんの車が去ってゆくのを駅舎の外で見送ってから、駅舎の中にシュラフを拡げて寝始めた。
30分くらいしたら車が止まる音がして誰かが駅舎に入ってくるんだな。
どうせジモティーが運行状況でも確認に来たんだろうと寝たままでいると「もう寝ちゃいました?」っと声がする。
俺ぢゃん!?っとシュラフから顔を出すと蕎麦屋の兄ちゃんだぞ。
「いやぁおぢさん体冷えてると思って蕎麦作って持ってきました!!」
うぅぅ(泣きそうだよ)なんていい人なんだ...

 挫折しまくった後だけに人の好意が滲みるぞ。
せっかくのご厚意なので美味しく蕎麦をいただき、お兄ちゃんも話し好きで色々聞いてくるんで色々の話をして気がつけば2時半よ。
向こうは家に家族がいるわけでさ、年越しの晩を僕のようなろくでもない奴に費やさせてしまって申し訳なく思いながら別れた。
別れ際に蕎麦のお代を払おうとしたんだが、蕎麦を食わせろと言われた時に僕は断った、そのことを後悔しているんでお代は受け取れませんちゅうんだな。
なんて良い奴なんだよ、こいつ。

 そうこうし、お互い名乗り合うこともしないままに別れたんだが、日本にいる間にもう一回入広瀬村(現魚沼市)には行こうと思う、そして営業時間に兄ちゃんの蕎麦屋に行って蕎麦を食おうと思う、今度はお互い貸し借りなしでお代を払ってね。
たかが1,600mの山に挫折して落ち込んだ直後にこういう人の情けに触れるとなんとも嬉しい、無理して強硬の挙げ句に凍死するよりゃ生きてて良かった、つくづくそう思った。

 おかげさまでそれから駅の人がやってくる5時半くらいの間は熟睡することが出来た。
そして駅の人がやってきたんだが、これがまたいい人達で、僕がなんでここで寝ていたかという事情を聞いたら「そりゃ苦労だったね。」ちゅうよな感じで熱いお茶など振る舞ってくれた。
禁煙の駅舎の中で蕎麦屋の兄ちゃんとタバコを吸いまくったんだが、それも気づかないふりをしてくれた。

 やはり只見線は不安定で本来のダイヤを無視した始発だったが、それでもなんとか7時ちょい前には無事に乗車出来、小出まで戻れた。
小出の駅で乗り継ぎ待ちをしてたら、ベンチにいる僕を発見した小出の駅の助役さんがはるばる連絡階段を上って前々日の運休を申し訳なかったと謝りに来た。
まあそれほどに乗降客が少なく、ましてや余所モンの往来のないところだちゅうことではあろうけれども、それを差し引いてもなんていい人達なんだよ。

 そんなこんなで浦佐駅を経てなんとか無事に舞い戻ったわけですが、浦佐駅と言えば角栄の銅像

kakuei

その角栄の銅像に雪が積もっているのを見た真紀子が「パパが可哀想!!銅像に屋根をつけなさい!!」なんちゅう馬鹿なことをほざいて話題になったのはお一昨年だったと思うが、その銅像を見てきた。
そしたら屋根が掛かってたw
越山会が金を出したのか?はたまた越後交通が出したのか?
いずれにしても真紀子とは馬鹿な女だと思う、お前の支持層はお前を支持しているのではなく、角栄の恩義に報いているだけだちゅうことにもう気づけ。

 そして僕だけど、このままテントを買いに行ったぞ。
そして明日からまた山に入るのだな。
なんでかちゅう深い理由はないんだが、今回の山行きは身内には話してなかったわけよ。
そして山中で掛かってきたハッピーニューイヤーコールの一つが娘だったわけなんだが、「なんでそういう楽しそうなことをこっそり一人でするんかヴォケ!!」と叱られた。
当然今日娘の装備一式も買わされた。

 ただ今回は娘を連れて行くちゅうこともあり、遭難の危険は微少な越後湯沢の山ですけん一泊ですぢゃ。

これが我が輩だ!!
kiro








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