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軍国少年の半世紀、そして結局...
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 ドイツってのはこういうところが徹底的なんだけど、ベルリンの壁を越えて西に逃亡しようとする奴を撃てというシュタージの命令書がマグデブルクで見つかったんだそうだ。

 その7ページからなる命令書の日付は1973年10月1日だからベルリンの壁崩壊の16年前ということになるんだが、そこには「逃亡者が女子供連れであっても、それは裏切り者がしばしば用いる戦術なのだから、ためらうことなく撃て。」なんちゅう様な内容が書いてあるんだそうで、シュタージの犯罪を追求する部門は「これでシュタージの組織的関与が明らかになった。」とはしゃいでいるようなんだが、どうもその命令書はManfred L.というシュタージ要員の個人ファイルから見つかったようで、彼が読んで内容を確認した証の署名しかない、つまり発令者の署名はないらしい。

 法律の専門家は、この文書をもって訴訟を維持することは難しいと否定的で、やはりこれまで東ドイツのシュタージ関係者は命令の存在を否定、つまり組織的な行為であったことを否定しているそうだ。

 たまたまBildに、ベルリンの壁を越えようとした人々を射殺した容疑で6年半の判決を受けて4年間服役した東ドイツ最後の書記長エゴン・クレンツの談話が載ってますので以下に紹介しておきますが、彼は当たり前と言えば当たり前ですが「そんな命令は知らん、そんな命令は東ドイツの法律に照らして違法だべよ!!」ちゅうようなことを言っとります。

Der Stasi-Schießbefehl
Die brutale Wahrheit über die DDR
Egon Krenz, letzter Staatschef der DDR, streitet unterdessen weiter ab, dass es einen Schießbefehl an der innerdeutschen Grenze gab. Krenz gestern zu BILD: „Es hat einen Tötungsbefehl oder – wie Sie es nennen – Schießbefehl, nicht gegeben. Das weiß ich nicht aus Akten, das weiß ich aus eigenem Erleben. So ein Befehl hätte den Gesetzen der DDR auch widersprochen.“


その他参照記事
New Find Evokes Horrors of the Berlin Wall
DDR-Grenze
Staatsanwälte prüfen Schießbefehl der Stasi
Document Shows 'Moral Degeneration' of East German Regime
※2007/08/13の22:27訂正再掲
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