軍国少年の半世紀、そして結局...
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ネット販売が引き金、韓国で「犬肉料理論争」再燃
【ソウル=竹腰雅彦】夏ばて予防のスタミナ料理として、韓国人に人気があるのは犬肉。しかし、犬肉を取り扱う初のネット販売サイトが国内の猛反対にあって、今月、閉鎖に追い込まれた。これを機に「犬肉論争」が再燃している。
ネット販売サイトは、代表的な犬肉スープ料理「補身湯(ポシンタン)」にちなんだ「補身ドットコム」。4月、新ビジネスとして登場し、数百グラムから1頭分までの犬肉の注文販売を始めた。
韓国では、1988年のソウル五輪の際、国際的な批判に配慮する形で、犬肉料理店は表通りから排除された。その後も、愛好者に根強い人気があり、韓国メディアによると、年間約200万頭が消費されるほどだが、犬肉を取り扱う店は裏通りにしかなかった。
このため、犬肉が大量消費される夏場を迎え、新サイトの存在が知れ渡ると注文は増えたが、「国のイメージを損なう動物虐待を許すな」といった抗議も、ネット運営業者や管轄する自治体に殺到。業者は、7月初め、一応、自主的に販売中止に踏み切った。
混乱の背景には、犬肉が韓国の食品衛生法や販売上の法規から漏れた「あいまいな存在」(中央日報紙)ということがある。犬肉を食品として管理するための法改正は、以前から求められているが、動物愛護団体など反対派の圧力で実現していない。犬肉愛好家と反対派の板挟みとなって、行政は身動きできない。
「なぜ違法でないのに他人の商売に干渉するのか」
「食文化だから守れといっても、(犬を食べていては)韓国は先進国になれない」
同サイトの掲示板では、擁護派、反対派の激論が毎日のように続く。韓国伝統文化学校の崔公鎬教授は、両派の主張を眺めながら「食べたい人は食べ、食べない人は食べない。結局、それぞれの嗜好(しこう)の問題で、是非を論議することは不毛」と論じる。
物議を醸した当のネット業者は、今後も電話販売に転じようとするなど、その商魂はたくましい。
(2007年7月13日3時4分 読売新聞)
結局これは朝鮮人の諸兄がお決めになることなんだけど、これを以て日本国内の似而非右翼や嫌韓厨、果ては統一教会クズレまでが騒ぐ、嘲笑することが僕にはどうにも理解できない。
これは余談ですが、ネット内を巡回してみると、この層は概ね「反IWC」、畜産国に後押しされた反捕鯨運動に、これまた概ね「捕鯨は日本の文化」を旗標に異議を唱えているんだな。(藁
そしてこの記事中にある食犬反対派の反対理由、「国のイメージを損なう動物虐待を許すな」、「食文化だから守れといっても、(犬を食べていては)韓国は先進国になれない」で思い出すのは我が国の明治維新以後の不平等条約改正に向けたムーブメントですね。
日本は江戸末期にアメリカを皮切りに欧米列強と条約を結んだわけですが、そこには関税自主権をはじめとする非常に多くの問題があった、これについて、徳川幕府の幕閣がアホで無能だったからこうなったというのが最近迄の市井における通説だったんでしょうが、どうもそうでもなく、この時期欧米列強と諸条約を結ぶにあたって幕閣は非常に能く国際法を研究していた形跡が多く認められるんですね。
その一番象徴的なのが、最初に条約を締結する国にイギリスではなくアメリカを選んだということで、これはなにもアメリカの黒船が来てビビッタという理由だけではないようで、まだ中国と条約を結んでいないアメリカを選んだ、イギリスと締約する場合には清国との条約が下敷きにならざるを得ないから、こういうことのようで、最恵国なんて概念も知っていたようです。
そういう経過を経ながら明治政府は維新後になって条約改正のための大デレゲーションを派遣するんですが、彼らが感じ取って戻ってきたのが、上に引用した反対派と同じ結論なんですね。
つまり先進国に文明国と認められない限り対等の条約は結べない、という結論です。
しかしこれはある意味においては正しい認識だと思うわけで、いわゆる西欧から見る場合、彼らと近しい文化を持たない民族は野蛮人なのであり、彼らの棲む地は国ではなく「無主の地」であり、先に乗り込んで旗を立てた国の領域となる、つまりローマ帝国以来伝統の「先占論」なんですが、これをやられたのがインドであり中国でありコーチシナ、その旗標となったのがキリスト教であり、積極的な協力者が教会であったと、そして巧みにそれを回避したのは実は徳川幕府であったと。
こうしてみると邪悪なのは統一協会や創価学会だけではなく、寄付や献金を受け入れるすべての宗教が邪悪だと言うことが出来るような気がするし、とりわけそんなゆがんだ理屈で植民地主義を地球全域に押し広げようとするキリスト教徒が人権や人道を言うのもおかしなものなんだけど、でも残念ながら、それがグロ-バルスタンダードのコアなんですね。
そこに完全に背を向けるということは現実的な選択肢ではないわけですが、自らの伝統文化をそうした他者の企みの背景にある論理を以て否定するというのは嘆かわしいことだろうし、そうした西欧に侵蝕されて半ば腐植させられた価値観であることを自ら自覚することもなく他者の伝統文化を断罪するなどは嘆くより恥ずべきことだと思う。
犬を食うのが伝統文化であり、それが旨いと感じるのがその民族の味覚であるならおやりになればいい。
同じように猿を食うなら食えばいいし猿の脳味噌もまたしかり。
僕はこの記事に引用されている崔公鎬教授の意見に賛同します。
思えば北京原人の時代には人間の脳味噌を食っていたと言われる漢民族ですが、おそらくある時期から「いくらなんでも共食いはまずいだろう」というタブーが発生し、食う対象がより近い猿に替わった。
これも立派な文化であり文化の進化であるということだろうし、漢民族のこういう特性、つまり多くの人が悪食と嘲笑する特性ですが、これがなかった場合、いまある多くの漢方薬種は薬種でもなんでもなかっただろう、こういうことも言えるのです。
人を殺してはいけない。
これはざっくり真理だと思います、しかしここで問われるのは「人」とは何かの定義であって、異教徒は人と認めない、異民族や異部族は人と認めない、異文化に属する人は人とは認めない、こういう雑多な、そして一見偏狭と思えるようなステレオタイプと利害得失の最大公約数としての国家というフレーム、これの摺り合わせの中で「あの人は殺しても良い」という矛盾が残ってゆくのは、人が人として1人で生き抜けない以上、僕は致し方のないことだと思うし、そういうことを容認できる人の少なさがいまの日本の弱さだろうと思う。
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