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軍国少年の半世紀、そして結局...
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久間大臣臨時会見概要
平成19年7月3日 (16時31分~17時16分)

1 発表事項
 記者クラブの皆さんには短い期間だったかもしれませんが、大変お世話になりました。また、記者クラブ以外の方もご参加になっているかも知れませんけれども、改めてこれまでいろいろ広報活動等でもお世話になったことを、御礼申し上げます。今日、安倍総理に辞意を表明して参りました。辞任届は後刻、事務方を通じて提出しますということで官邸から帰ってきたところです。
振り返ってみますと、私が講演で不用意に発言した「しょうがない。」という言葉が原爆投下を是認したかのように報道されまして、私はこれまでも、また講演会場でも原爆投下については断じてあってはならないことだったと、繰り返し言っておりましたけれども、「しょうがない。」という言葉を言ったことについては事実でございますので、原爆投下と「しょうがない。」というのを特に結びつけて報道されますと、そういうふうな解釈やとらえ方をされたのも私の不用意な発言だったのではないかなと反省をしているところです。これは単にこれだけの問題では済まなくて、全国の被爆者、特に私の地元であります長崎や広島で原爆に遭われた人、あるいはその後遺症に現在も苦しんでおられる方、いろいろな方々に原爆、被爆についての私の態度が軽んじたようにとられた節もございます。そういう点では、その人達の心情を思う時に大変申し訳なかったなと、そういう思いがいたしました。そういうことを考えますと、やはり安倍総理もせっかく一生懸命頑張っておられて、戦後レジームからの脱却という形でいろいろな改革等を推し進めておられる時に、今度の選挙で私が足を引っ張るようなことになっては大変申し訳ないという気持ちになりまして、この度はきっぱりと私のそういうような不用意な発言が安倍総理のそういった姿勢にマイナスにならないようにということで、既にマイナスになったかもしれませんけれども、私自身が身を退く決意をしたところでございます。しかしながら、防衛庁が省になり、防衛省が、あるいは、防衛庁時代に出していた法律等は全て成立しております。米軍再編はこれから時間がかかることでもございますし、沖縄の、特に私がかねてから主張しておりましたキャンプ・シュワブへの普天間の移転が実現しませんと全ての改革が進まないわけでございます。これもまた、環境アセスその他が終わりませんと具体的な計画が煮詰まらないわけですから、まだ時間を要することもございます。そういう意味では、ほぼ私の時代と言いますか、私の時になすべき事については出来たのではないかなという達成感もございますので、この際きっぱりと身を退いた方がいいという思いで辞意を表明したところでございます。今後はまた防衛省のOBとして今度は新しい大臣を側面から支えながら、自民党の議員の一人として、また与党の一人として一生懸命後押しをしていきたいと思っております。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。ご質問等がございましたらどうぞ。

2 質疑応答
Q: 安倍総理とは昨日の朝と今日のお昼と二度直接会われたわけですが、総理の憤りというのは感じられたのでしょうか。

A: いえ、それは別に感じておりません。総理は私の発言が不適切と思いながらも、私自身が原爆投下を認めるとか、核廃絶についての熱意を持っていないとか、そういうようなことは微塵だに疑っておりませんから、私自身がそういうような原爆投下を認めるとか、核廃絶に否定的だとかいうようなことはないということは、今日辞める時にあたってもあり得ないということを確信しておられたと思います。

Q: 今回辞任を決断する際に、官邸からのプレッシャーのようなものが何か影響を与えたというようなことはあるのでしょうか。

A: それはありませんが、参議院選挙を控えて苦労しておられるなという思いは私自身が逆に持ちました。

Q: 昨日、今朝の段階ではまだ辞めることは考えていなかったとおっしゃいましたけれども、実際のところ辞任される時期というのはいつ頃ですか。

A: 正直言って今日の午前中からですね。自民党だけではなくて与党として困っているんだなあということを感じ始めましたので。今日の夕刻、自民党の政調会長とも会う予定にしておりますけれども、やはりそういうことを考えると、選挙を控えて自民党だけではなくて公明党もやっぱり、やりづらいのではないかなということを非常に感じました。

Q: 今日、朝の段階で、公明党の方に幹事とお会いするという予定もあったのが延期になったのですが、この辺というのはどうして。

A: これも、逆に言えば選挙運動に皆さん方がこうして写真を撮ったりするのがまた映像で流れるとマイナスに利用される、そういうことを私自身が感じたので、正直言って遠慮させてもらいました。

Q: 大臣の方から遠慮されたということですか。

A: 私から遠慮したというんじゃなくて、言わず語らずで、遠慮させてもらいたいということを、そしてまた、原爆の問題というのは、国防三部会とは違うんですよね。今考えますと国防三部会で議論する話ではないんですよ。そういうこともあって、ちょっとそれは遠慮させてもらいたいと。

Q: それは自民党の国防部会の話ですよね。公明党へは。

A: 公明党の方はまだ内部での意見がいろいろありますのでということでしたので、自民党の国防三部会といいますか、国防部会だけでなくて、内閣部会、外交合同部会についても行かなかったわけですから、向こうについても、もう少し様子を見た上でという、そういう思いはございました。

Q: 浜四津さんとか、漆原国対委員長とかは厳しい口調でしたが。

A: 漆原さんのは新聞記事で見ておりますけれども、浜四津さんのは知りませんでした。ただ、与党としては選挙運動をやりにくいのだなあという雰囲気は私なりに感じておりました。

Q: 長崎市長とお会いになった時には辞めることは決めていなかったのですか。

A: その段階では、私自身は未だ決断しておりませんでした。

Q: 長崎市長にお会いになって何か。

A: いや、それはそんなに感じておりませんが、長崎県内における参議院選挙等の状況については、私なりにいろいろな質問をしながら、プラスではないなという感じは受けました。同時に、市長や議長に対しては、大変迷惑を掛けたと言いましたけれども、その分よろしくという事を今日お願いしました。

Q: それで、昼の決断になるのですけれども、決断の前に誰か党の人と。

A: それはありません。

Q: では、直接総理のところにお電話か何か。

A: 「今から行きますので。」と言ったら、「12時50分頃帰ります。」という事でしたので、「1時に伺います。」という事で伺いました。

Q: 自民党は年金問題で、参院選に逆風を受けているのですが、今回の大臣の対応、発言、離任が参院選にどのような影響を与えるとお考えでしょうか。

A: それは分かりません。年金問題についても安倍総理は自分の責任だとおっしゃいますけれども、安倍総理の責任ではないわけです。歴代の厚生大臣の時にやっておくべき事をやっていなかったので、それを安倍総理が就任され、それが今問題になっているわけですけれども、私は、それはおかしいのではないかと、総理に就任されたのは去年の9月26日ですから、だからそれを安倍総理の責任のように言って、他の人達が全然責任がなかのように言っている事、野党の皆さん方も閣僚だった事があるわけですから、そういう事を考えますと、やはり最近の年金問題については、ちょっとどうなのかなという思いはしております。閣僚だとそういう事も言えませんけれども、今回辞めたら、安倍総理が可哀想じゃないかということを堂々と言えますから、私は本当気の毒だと思います。一生懸命に取り組んでいる安倍総理の姿勢を、やはり買ってやるべきだと思います。

Q: お辞めになった理由として、選挙への配慮ということを繰り返されていますが。

A: 選挙への配慮と同時に、やはり私が言った不用意な発言で、被爆者の皆様方の気持ちを軽んじているのではないかという思いをとられた、そういうような事を感じましたので、それが申し訳なかったと言っているのです。私が原爆を否定しているのは、講演会場におられた何人かの記者さんは知っております。「原爆は許せない。」と何回も繰り返しながら言ったけれども、その後で「しょうがないですよね」という、九州弁で「しょうない。」というのは口癖ですぐ出るのです。今更言ってみたってしょうがないなという、そういうのがぽっと最後に出たのが、その「しょうがない。」という発言で、それが非常に皆さんを傷付けたのではないかと思っております。

Q: 是認されていない事はよく伝わってきたのですが。

A: 伝わっただけでもありがたいです。昨日までは、是認しているのではないかという形で、新聞一面そうでしたから、私はあくまでも是認しないという事は、昨日も言っておりますが、それまでの報道では、原爆投下を是認している等の話で、是認していないというのはしょっちゅう言っておりますので、ただ、「しょうがない。」という言葉をやはりああいう場面で使ってはいけないのですね。

Q: 歴史認識として、原爆投下が戦争終結を早めたという認識はお持ちなのですか。

A: 講演会場でも言いましたが、長崎への原爆投下が9日でしたが、ソ連が9日には参戦した。そして日本は15日には終戦を決意したというような事は言いました。私は、本音を言いますと後何日かでも終戦が早ければ、もし、後1週間早ければ、長崎に落ちなくて済んだのになと、あるいはもっと早ければ、広島にも落ちなくて済んだのになという、そういう思いは今でもしております。

Q: 10日の前に既に日本政府は降伏の手続きをしていた事を、トルーマン大統領が知っていたという事は認識していますか。

A: それは知りません。しかし、手続きはどうであろうと、公表しないと。ソ連は9日に参戦したわけですから。9日に原爆が落ちたわけですから。だから、やはり戦争に突入したのも、勿論その責任の問題もあるかも知れませんが、それと同時にああいう悲惨な戦争になって、駄目だという時に、決断が遅れたという、これもまた悲惨な結果を招いた事になるわけですから、だからそういういろんな思いが私にはあるのです。

Q: 広島・長崎の原爆については許せないと。それでは一般的に、核兵器の使用について、いろいろ考えて必ずしもという場合があり得るのか、それも認めないのか。

A: 国際法上でもそうですけれども、やはり核兵器は使用してはならないという、核兵器については国際的に違法だという、そういうような事は大体確立していると思います。だから私は、長崎への原爆が最後の核兵器の使用であってもらいたいという、そういう思いは本当に強いですし、それは長崎県民の悲願で、とにかく過ぎた事はしょうがないとしても、また「しょうがない。」と言いましたが、長崎が最後の原爆であってもらいたい、兵器の使用であってもらいたいという、そういうような主張を長崎はしょっちゅうしておりますし、私自身もそういう思いは非常に強いです。

Q: 政府は、必ずしも国際法違反とは言えないという、93年の答弁書を見たらそういう、正義には反するけれども、必ずしもそうではないということもあり得るというようになっているのですが。

A: そういいますけれども、核兵器の破壊力、その他から言えば、核兵器の使用というのは、法理論上どうかという議論は別にしてですが、人道上許せないものだという認識を持っております。

Q: 今後、国際的にも核廃絶に向けた取り組みがなされていくと思いますけれども、日本が唯一の被爆国として核廃絶を訴えると同時に、日米安保条約の下で米国の核の傘の下で安全を確保しているという事実ももう片方にはあって、更に憲法上、日本政府は核兵器の保有あるいは使用は自衛の最小限である限り、違憲とは言えないという立場を持っていますし、こういういわば矛盾を抱えた中で、今後どうやって核廃絶の理想に取り組まれるのか、大臣をお辞めになる自由な立場でお伺いしたいのですが。

A: 法理論上の話としては、あり得るわけです。必要最小限の範囲であれば、核兵器が使えないかということについては、法律論として理屈の世界はあり得ます。しかしながら、政策としてそういう事をしてはならないという問題とは別ですから。日本としては核兵器はあくまで使わないと。それと同時に持ち込ませないというようなこと、三原則というのがありますけれども、その問題について私は法理論上の話とは別だと思います。それと核抑止論というのは、それは確かにあります。相手側が核兵器を使ったら、こちらも使うぞということによって相手の核兵器の使用を抑止するというのは、これは確かに国と国との関係で、大陸間弾道弾等たくさんミサイルを持っている国々がにらみ合っているときには、その抑止力が効いてきたからこそ、今日まで無かったのだろうと思います。そういう意味では、核抑止論というのはありますけれども、その抑止力の一環としては使って良いのかとなると、本質的に私はそれを使うべきではないと思います。そのためには、双方がそういうような抑止をするということと、使用しないということを何らかの形でお互い決めていくということと、そういうようなお互いが決めることができない国においては、相手が核兵器を持たないようにどうやってそれを仕向けていくか、そういうことだろうと思います。中国、ロシア、イギリス、フランス、こういったところについては、私は核抑止論がこれだけ長期に戦後続いてきただけに、かなり効いていると思います。しかしながら、テロリスト、あるいは北朝鮮を始めとするような国々にこういう抑止論が効くのかどうかということについては、正直言ってなかなか自信もございませんから、それは抑止論を効かせながら、抑止論ではなくて事実上、そういった国が核兵器を使わないような、核実験等も行わないような、核兵器の開発を行わないような、そういう状況をどうやって作り上げていくか、これを各国で協力しながら抑え込んでいく、それが必要ではないかというように思っております。

Q: そうしますと、抑止論をお認めになるということは、大国の核保有に関してはお認めになるということでしょうか。

A: 認めたくはないのです。全世界の核兵器を廃止したいというのが私の持論ですから。認めたくないけれども、現実にはそこにある。それが双方が同時に減らして無くしていかない限りは、片一方だけ無くせというわけにはいかないわけですから、そこに難しさがあって今日まで抑止論という形で、事実上使えない状態で今まで抑え込んできているわけです。それが現実なのです。

Q: 今回の発言が、自分の中で説明できる自信はあったのでしょうか。

A: 私は説明すれば分かってもらえるのではないかと、私自身が原爆を是認していないという状況については理解してもらえるのではないかという思いがありましたから、私は理解してもらえるかなと思ったのですが。

Q: いつぐらいからそれが・・

A: 東京に帰ってきて、特に翌日のいろいろな新聞報道等を見ながら、だから、講演では質疑もありましたけれども、私のそういった発言についての質問はほとんど出ませんでした。「あなたは原子爆弾を投下したことを是認しているのか。」という質問でもあれば、「いやいやそんなことは言っていませんよ。」とその場で打ち消したと思いますけれども、そのような質問については何ら出なかったので、私自身がそういう核爆弾投下を是認したというような、そういうことを言っているとは、本当に正直言って思っていませんでしたから。東京に帰ってきて、いろいろな記事を読んだりしてからです。

Q: 今まで大臣はいろいろな発言で話題になりましたけれども。

A: やはり私は語彙が少ないのですよね。本当にそういう点では皆さん方にも迷惑をかけているかもしれません。「脇が甘い。」という人もいますが、それもそうかもしれません。もう少しきちんと言葉を選びながら、そして相手がどう取るかを考えながら、言葉を発していくべき、そういう責務があったのではないかなと思っております。これまでの発言についても、そういう点では、今振り返ってみると誤解されていたことも多かったなという気がします。

Q: 以前大臣はイラク戦争に対して、アメリカに対して厳しい発言をされ・・。

A: あれは私自身は厳しい発言ではなくて、「核兵器があるとは私は思っていませんでした。」と。だから、「核兵器があると言っているけれどもそれはどうかなと私自身疑っていました。」ということを言ったわけで、「核兵器があるという前提で踏み切るというのはどうなのかな。」というふうに思ったということを言ったわけです。

Q: アメリカに対してそういう発言をされて、一方で今回はアメリカを恨んでいないとおっしゃったのですが。

A: 「しょうがない。」と言ったときに、何で言ったのかは、「じゃあ、あなたアメリカを恨んでいますか。」と言われると、「今更恨んでもしょうがないでしょう。」というような思いがあります。むしろこれから将来に向かって核兵器を廃絶してお互い使わないように、世界の核兵器を廃絶する方向に持って行きたいという思いがあるのであって、アメリカに対する恨み辛みで物を言うとかえって核廃絶に向かって進まないという思いがありますから、あの会場でも何回も「アメリカを恨んでおりませんよ。」ということを言いました。今みたいな話をすると「原子爆弾を落としたのは許せない。」と言うと、では「恨んでいますか。」というすぐ感情として取られるから、「恨んではいません。」ということを何回もあそこで繰り返しました。

Q: 今回の発言についてもそうですし、それから柳沢大臣の発言等、安倍内閣の下でこのような発言が続いておりますけれども、これはどうしてだと思いますか。

A: 私は分かりません。たまたま言った言葉が、真意を測りかねるようなことだったのかどうか問題なのです。柳沢さんの発言にしても不用意な発言だったと言われれば、その通りかもしれません。しかし、彼は例え話としての例示としてあげたのが不適切だったのでしょう。そういう役割とか、そういうような言葉で言っておけばまた違ったことかもしれません。だから、表現の仕方によって自分の内部の意志を伝えようとする時にまずい言葉があると、最近はそれを咎められるというか、そういうことについて多いと思います。それは咎める方も咎める必要があって咎めるのでしょうけれども、言う方もついうっかり、それを分かりやすくしようと思って言ってしまうということがあるのかもしれません。そういうところは、これから先の政治家に対しては言葉を非常に選びながらやらないと、私みたいな不適切な発言で皆に誤解を生んで、それが皆さん方の感情を傷つけることになりかねないので、そこはやはり注意しながらやらないといけないと、若い人達にもこれから先はそういうことで良い教訓を与えたと思いますし、また私たちもそういうことを注意して皆さんに教えていこうと思います。

Q: 総理に辞任をお伝えした後、お部屋を出られる時の率直な感想は、肩から荷が下りたという感じなのか、やはり少し寂しさが残るのか、どうでしょうか。

A: ある意味では「ほっとした。」という気がしますね。これで選挙が堂々と与党として戦えるという、そういう気持ちが私自身もありますから、私のことで引きずっていたのでは、やはり迷惑をかけるなという、そういう思いがありましたから。

Q: 防衛政策の方に関しての今後の影響、あるいは・・・。

A: それはないと思います。今度の問題は、全く防衛上の話とは別ですから、強いて言えばあの時の講演で言いたかったのは、相手の意図、動き、そういうのを正確につかんでいないと、後でとんでもないことになってしまう。私の言葉で言うと「しょうがない。」ことになってしまう。だから最初のきっかけの意図をきちんと取って、ソ連自身が参戦するかも知れないというのを見抜けなかったという所に原因があるといまだに思っておりまして、ソ連が虎視眈々と狙っているという、あの会場でもそういう質問が出ましたけれども、そういうことについての配慮があったならば、もう少し早く戦争を終結することができたと。そうしたら我が長崎にも落ちずに済んだのではないかという、そういう思いが今でもありますね。

Q: 初代大臣として、途中でこうした形で辞任されることというのは・・・。

A: それは関係ありません。いずれにせよそれはどこかで、辞任するわけですから。

Q: 日曜日の党首討論で安倍総理が、小沢党首に「核の傘に入っていながら、米国に謝罪を求めるのか。」というような話をされたのですが、日米関係では原爆投下の話をすることは、ある意味タブーなのですか。そういうことではないのでしょうか。

A: そういうことではないと思いますけれどもね。やはり現在の日本の状況では、日本が核兵器を持たないけれども、核兵器を持っている国が厳然としてある以上は、核の傘の下にないと、国民に対する安心感というのは与えられないというような、ある種の矛盾した気持ちというのはありますよね。やはり核の傘というのが、どうしても機能していますからね。

Q: 総理に辞任を伝えられて、防衛省に戻ってきて、また出られましたけれども、その後はどなたとお会いになっていたのでしょうか。

A: それはプライベートな話で、前から予定していた昼食を食べようかということですからね。聞いたかも知れないけれども、辞めてきたよという話をしたくらいですから。そうですかと言っていましたけれども。

Q: 原爆がソ連が北海道を獲ることを阻んで、結果的に戦争も終わったという認識を示されていましたけれども、この認識自体は今も変わらないという・・・。

A: ソ連が果たして北海道を占領できたかどうかは別ですよね。それはアメリカがそういう意志を持っていたかもしれませんからね。しかしながら、ソ連が虎視眈々として狙って参戦をしてくる可能性があった。そういう時に日本政府に決断を迫らせた、そういう一面があって、とにかく戦争が8月15日には終わったということについては、これで戦争が終わったという、そういう思いは今でもしております。

Q: 原爆投下が終戦を早めたという・・・。

A: 早めたか、遅らせたかは、8月9日に落ちているわけですから、それから1週間も経っているわけですからね。早めたかどうかは知りませんけれども、とにかく8月6日、8月9日の原爆投下が決定的なものだったということは、それは私は事実として言えるのではないでしょうか。

Q: 海外メディアでは、日本の防衛大臣がアメリカ政府の原爆投下を容認した歴史的なことだというふうに報道しているのですが、それに対する責任などは感じているのでしょうか。

A: それは現実として原爆投下が、結果としてあのような悲惨な結果を生んだけれども、日本国政府として、あるいは軍として、とにかく全面降伏に向かわせたということは、事実だと思うんですよ。

Q: ということは、しょうがなかったということでしょうか。

A: しょうがなかったと、そこで言うと問題になってしまいますけれどもね。そういう事実としてですね。沖縄であのような負け方をして、硫黄島があれだけやられて、本土に空襲が始まって、本来ならその時点で決断すべきだったんだと思いますが、本土決戦だとか、いろいろなことを軍が言っているわけでしょう。あの時点では、なかなかそれを終戦というところに踏み切れなかったのではないかと、今でも思いますね。1億総決戦になってそれを6日と9日の原爆によって、もうとにかくどうにもならないという、そういう思いの中で8月15日を迎えたのではないでしょうか。

Q: ということはアメリカのあの当時の政策として、原爆投下はしょうがなかったとは言いませんが、どうしょうもなかったということは事実として・・・。

A: いいえ、それは私は前から何回も言っているように、勝ち戦で決まっているんだから、もうアメリカが勝つとあの時はアメリカは確信を持っているわけですから、原爆まで落とさないで良いではないかと。もっと他の方法で終戦を早める方法だってあったのではないかというふうに、日本がソ連を使って働きかけをする。そういうような前にアメリカ自身が日本に対して、確かに勧告はしているんだと思いますよ。しかしながら、なかなかそれが通じなかったのかもしれませんけれどもね。原爆を落とさないでも終戦を早める方法が、私はあったと思いますけれどもね。これもわかりません。過去のことについて、今さらああすれば良かった、こうすれば良かったと、この間の講演ではないですけれども、そういうふうに思って見てもしょうがないという、だからしかしそうは言いながらも、私は他の方法がね、原爆を落とさなくても終戦を向かえる方法は、あったのではないかと今でもそういう可能性については、あるような気がしますね。

Q: それは日本サイドの話ですか。それともアメリカサイドの話ですか。

A: アメリカサイドの話です。だからアメリカサイドとしても、それは選択肢の一つだと、私は講演でも言っていますよ。これが最後の選択肢の一つだったかもしれないけれど、それしかない選択だったかというと、私はそうは言えないのではないかと。落とさなくても済んだのではないかという、私はそういう気がしますから、勝ち戦と分かっているのに原爆まで落とさなくてもいいのではないかと。あの講演会場でも言った通り、今でもそう思っていますね。

Q: 後任に小池百合子補佐官が任命される予定ですが、小池さんに対する今の気持ちを・・・。

A: 私は非常に期待しています。今度のNSCの問題にしても一生懸命まとめられて、私はそういう点では国家危機管理についての考え方、そしてまた新しい感覚を持っておられるし、また環境大臣として、また沖縄の担当大臣までされた方で沖縄とも関係が非常に深いし、中東に対しても非常に思い入れのある方ですから、私は非常に立派な方が後任に就任されたと喜んでおります。

Q: さっき、総理に会われたときに、「残念だ。」と言われたということで、「本当に残念だが決断を・・・」

A: 残念、確かに言葉は、そういう残念という言葉だったかどうかは、「いろいろな政策課題をやって頂いて本当にありがとうございました。」という話と「こういう状態でこういう決断をされたというのは、分かりました。」という中に、「残念だ。」というニュアンスを感じましたので、「残念」という言葉は出なかったと思いますね。

Q: それ以外に総理からお話はありましたでしょうか。

A: 今言ったような話ですね。いろいろなことをやって頂きましたが、という話。

Q: 今日か明日、離任なさるときに。

A: 明日ですかね。

Q: 離任なさるときに栄誉礼はお受けになるのでしょうか。

A: 離任式がありますからね。それは形どおりに、それはいろいろな形でやります。

Q: 沖縄の普天間移設問題では、大臣のリーダーシップと言いますか、仲井真知事といろいろな政策を進めてきたわけですが、この時点で辞めることでマイナスな影響はないのですか。

A: それはないと思います。先程言ったように沖縄の問題は最終的には、環境アセスのいろいろな手続きが終わった段階で、埋め立て免許を申請するときに、あるいはその前の環境アセスの方法書を出したり、準備書面を出したり、その時々にそれぞれのいろいろなアクションというか節目がございますけれども、最終的には沖縄の知事が判子をつかないと先に進まないわけです。それについては沖縄の知事といろいろ話しをしながら、沖縄の知事が最後の決定権を持っているのですよと、しかしもしその決定を送らせるとこれがまた先に伸びて行きますから、遅らせちゃいけない、しかしながら沖縄の主張も言わなければならない、この辺の中でどのように調整していくか、これが大事なことですから、ということを言って、沖縄の知事さんも私の気持ちは分かって頂いておりますし、私も沖縄の知事さんの気持ちも分かっておりましたから、これから先はその辺りを後任の大臣をはじめとして、皆さん方うまくやっていかれると思いますから、2年間の間では良い具合に調整が進むのではないでしょうかね。

Q: 今日の昼に総理と会われたときに、どういう気持ち、どういう言葉で辞意を伝えられたのでしょうか。

A: とにかくこれ以上皆様方にご迷惑をかけてもいけませんし、特に参議院選挙については、私の発言でマイナスになっては私としては非常に大変なことなので、私の責任において辞任させて頂きますと、そういう言い方をしました。

Q: 在任期間中に沖縄の基地問題を進めるという意味で、掃海母艦を派遣しましたけれども、あの判断は正しかったとお思いですか。

A: 私はそれは間違っていなかったと思います。掃海母艦というものに対して、ただ沖縄の人たちが、イージス艦や護衛艦と同じようなイメージを持っていたというのは、ちょっと私自身もそこまで、掃海母艦というのはですね、医療器具からいろいろな物を積んでいるし、掃海艇を派遣する母艦なんですよね。戦闘の為の船ではないんですよね。それを銃口を突きつけてというようなことを、地元の新聞等が書いておりましたが、私はそれは違うのではないかという思いがありましたから、そこのところは正直言って掃海母艦は、もし遭難者が出たり、いろいろな事故等があったときに救難その他もできるような意味も含めて万全を期すというような意味でやったんですけれどもね。だから掃海母艦を出したこと自体は、私はそんなに間違っているとは今でも思いません。

Q: 自衛隊を調査に活用したということ自体、間違いではない・・・。

A: これも民間だけでは対応できないときに早急にやらなければならない、過去の3年程前のいろいろな混乱を見ましたときには、自衛隊も有用な公共財として使ってもいいのではないかという思いは今でもしております。

Q: 今回イラク特措法が通常国会で延長になりまして、今なお航空自衛官200人がクェートやバグダットで活躍していますけれども、彼らに対する撤収の命令を出せないまま終わると、今なお危険にさらされているというところについては、どのような思いでいらっしゃいますか。

A: 撤収の命令というのは、これは内閣としてどのようにいつ判断するかというは、国際環境あるいはまたイラクにおける治安状況、復興の状況、いろいろなことが考えられますから、法律も2年延長したわけですので、私の任期中に撤収ということについては、そう簡単にいかないんじゃないかと思って期間も2年にさせてもらっていますから、そういう意味ではそれはあんまり考えておりません。

Q: 任期というお話がありましたが、前長官の辞任を受けて就任した時や、その後、初代防衛相になった時は、任期はどれぐらいというふうに・・・。

A: 全然そんな事は考えておりません。それはもうやりかけた法律等がたくさんありましたから、それを仕上げるのに一生懸命でした。イラク特措法が最後に参議院を通過したときには、正直言ってほっとして、私が去年就任して抱えていた問題については、一応一通り成立したかなと。沖縄の問題が残っているけれども、この普天間の問題はしばらくかかるなという、そういう思いでした。

Q: 安倍総理から防衛庁長官をやってくれと言われたときに、特に米軍再編、沖縄の問題をやって欲しいと言われたと思うのですけれども、その総理の期待に応えられたとお考えですか。

A: 私はそれが、任命されたときに米軍再編問題をよろしくと言われて、特に沖縄の問題ですからというと、それは感じましたし、自分としてもやりたいと思いました。その件については、少なくとも沖縄の県、地元の名護市を始めとする関係自治体、こういった方々とも意思の疎通、あるいは忌憚無くいろいろな意見の交換の出来るような雰囲気も出来たし、私はそれはだいたいうまくやってきたのではないかなと、自分なりには自負しております。

Q: 「高校生など子供に誤解を与えている。」ということを心配される発言をされておりましたが・・・。

A: 今度の件でですね。今度の件では被爆地の皆様方は、結構、署名運動その他高校生がやっているんですよね。そういった方々にまで私が原爆を認めているかのようなそういうような取られ方をしたとすれば、これは残念だなという思いはしております。その可能性はなきにしもあらずで、「原爆投下しょうがない」という、ああいうような大きな見出しが躍りますと、そういうような方々にはそういう印象を与えたのではないかなと。私がさも原爆投下を容認しているような印象を与えたのではないかなと、そういう気がしていますね。記事の全体を読まれた方は別ですけど、見出しが躍りますから、そういう子供さん達が、見出し以外のところまでちゃんと見ようとされるか、私は記事自体はあながち不正確とは言いません、かなり正確に書いて頂いたと思っております。

Q: 日本の昭和16年のパールハーバー、開戦ですね。これはやはり終戦はいわゆる・・・。

A: 本当を言いますと、今度東京都の副知事になった猪瀬君が、「昭和16年の敗戦」という本を書いておりますけれども、あれが一番正しい判断だったろうと今でも思っております。日米が戦ったときにどうなるかということを、全国の軍人、官僚、財界のエリート、そういった者を集めて日本国政府がシミュレーションをやった。そういったときにどうやっても100%負けるといったときに、東条英機氏が陸軍大臣で「それは日露戦争だってわからないというのを、やってみて勝ったではないか。やってみなければわからないではないか。」という発言で結局抑え込んだわけですけれども、私は彼の分析の論文というのは、そういう点では当を得ていたなと、今でも思っておりますから、そういう点では昭和16年の真珠湾の攻撃に始まりましたが、私はその前の昭和16年の夏のあの記録を、あれだけ模擬内閣を作って若手の連中が発表した、それをもう少し受け止められなかったのかなと、あの戦争後に入ってからの進展を見ておりましたら、とにかく南方を押さえることによって油は確保した、その油を日本本土にどうやって運ぶのか、運ぶ船が攻撃されて沈んだらどうなるのかということを、そういうところまで分析して結局結論を出したわけですけれども、その通りに結局なったわけですね。だからそういうのを考えますと、私はやはり昭和16年の真珠湾の攻撃というのは、日本はやはりそういうことについての配慮が足らなかったのではないかという気がします。しかし過去のことをあの時ああすれば良かった、こうすれば良かったというのを、私たち戦後の人間がいろいろ言ってみても、それは始まらないと思います。お世話になりました。

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