軍国少年の半世紀、そして結局...
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8月31日付のNew York Timesに『Decades After War Trials, Japan Still Honors a Dissenting Judge』という記事があります。
そしてこの記事を書いたのは、そうです、あの大西哲光です。
しかし今回ばかりは僕はこの大西哲光の記事を大意において支持しますね。(爆
物が物だけに訳文をつけますが、まずタイトル、『軍事裁判から数十年経ってもいまだに日本はパール判事を崇拝している』意訳が過ぎるかも知れませんが、こういうことです。
内容的にはまともな言論人やブロガーが主張しているような、「パールが否定したのは極東軍事裁判であり、日本の戦争責任ではない。」というパール評であり、当たり前すぎる内容です。
当たり前すぎるから僕は、ひょっとしたら日本の右翼が大西に金でも渡してこれを書かせたんじゃないかと思ってしまう。
だってさ、大西=反日って固定観念に縛られた思考停止者の熱湯浴や似而非保守にとっては、大西の言うことは間違いであり反日であるちゅうことになるんじゃないの?
よって日本人がパールを崇め、ダメ晋三がその子孫に会いに行ったことは正しくも美しいことだっと、こういう理解を得られる。(爆
さて中身ですが
だから大西は、少々こじつけが過ぎるけれども、こう書いています。
これに対しては当のダメ晋三ですら反論不能でしょう。
大西哲光はパール判事が特異であったわけではなく、多くのインドの独立運動活動家も彼と同様の日本に対する複雑な感情を持っていたように思えると前置きしながら、チャンドラ・ボースを大叔父とするハーバード大の歴史学者スガタ・ボースという人物の発言を引用してます。
いつものような歪曲は見られず、大西哲光の書いた記事としてはなんともマトモです。(大爆
そして余談ですが、「Let's Blow! 毒吐き@てっく」はまだ「またオオニシだ!」で更新が止まったままですが、どうしちゃったんでしょ?
かたや大西はこんなに元気いっぱい記事を書いているちゅうのにね。(藁
このまま沈黙してると疑惑は事実になっちゃうぞ。
そしてこの記事を書いたのは、そうです、あの大西哲光です。
しかし今回ばかりは僕はこの大西哲光の記事を大意において支持しますね。(爆
物が物だけに訳文をつけますが、まずタイトル、『軍事裁判から数十年経ってもいまだに日本はパール判事を崇拝している』意訳が過ぎるかも知れませんが、こういうことです。
内容的にはまともな言論人やブロガーが主張しているような、「パールが否定したのは極東軍事裁判であり、日本の戦争責任ではない。」というパール評であり、当たり前すぎる内容です。
当たり前すぎるから僕は、ひょっとしたら日本の右翼が大西に金でも渡してこれを書かせたんじゃないかと思ってしまう。
だってさ、大西=反日って固定観念に縛られた思考停止者の熱湯浴や似而非保守にとっては、大西の言うことは間違いであり反日であるちゅうことになるんじゃないの?
よって日本人がパールを崇め、ダメ晋三がその子孫に会いに行ったことは正しくも美しいことだっと、こういう理解を得られる。(爆
さて中身ですが
Casting subtleties aside, postwar politicians invited Judge Pal to Japan several times and showered him with honors.これは、「戦後日本の政治家は繊細な部分をスルーしてパール判事を日本に何回も招き、彼に多くの栄誉を与えた。」というような訳で良いと思いますが、事実としての、パール判事が日本のやった戦争には批判的であったというかんじんの所はスルーし、ただパール判事が「無罪の評決をした」ということだけをクローズアップそしてそれを日本の正しさの担保にしようとしてきた戦後保守の欺瞞とそれに踊ってきた似而非保守に対する批判、そして今回のダメ晋三の訪印中の行動はこれの焼き直しで、いまや地に落ちてみる陰もない人気の挽回ためにまたしてもパール伝説を政治利用しようとした、そのことに対する批判ですね。
だから大西は、少々こじつけが過ぎるけれども、こう書いています。
One of his strongest backers was Nobusuke Kishi, a prime minister in the late 1950s who had been a Class A war criminal suspect but was never charged. Kishi is Mr. Abe's grandfather and political role model.「パールのもっとも強烈な支持者の一人は元A級戦犯の岸信介元首相であり、ダメ晋三の祖父でありダメ晋三は彼を政治家としての手本としている。」
これに対しては当のダメ晋三ですら反論不能でしょう。
"For us, we were extremely grateful for Judge Pal's presence - there was no other foreigner who said so clearly that Japan wasn't the only country that had done wrong," said Hideaki Kase, chairman of the Japan-India Goodwill Association, an organization founded in part because of Judge Pal's legacy. But Mr. Kase, who once served as an adviser to Yasuhiro Nakasone, the former prime minister, said that he disagreed with certain parts of Judge Pal's conclusions, including his acknowledgment of the Nanjing massacre. Describing the massacre as a "complete lie," Mr. Kase said that Judge Pal had fallen victim to "Chinese and Allied propaganda."これは加勢英明http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%80%AC%E8%8B%B1%E6%98%8Eさんの語った言葉を引用しているだけですが、加瀬さんは「日本だけが極東軍事裁判で裁かれようとしている行ったわけではなく列強共通の犯罪だと主張したことを大いに評価しながらも、中国の謀略に乗っかって南京事件を肯定したことは支持できない。」こんなことを言っているそうですが、僕はこれは確認できていないのでなにも書きません。
大西哲光はパール判事が特異であったわけではなく、多くのインドの独立運動活動家も彼と同様の日本に対する複雑な感情を持っていたように思えると前置きしながら、チャンドラ・ボースを大叔父とするハーバード大の歴史学者スガタ・ボースという人物の発言を引用してます。
In many ways, Judge Pal seemed to share the mixed feelings that many Indian anticolonialists had of Japan. As an Asian nation competing with the Western powers, Japan inspired admiration, but also consternation for its colonization of Asia, said Sugata Bose, a historian of South Asia at Harvard. Mr. Bose said his great-uncle Subhash Chandra Bose, the Indian independence movement leader, criticized Japan's invasion of China but allied himself with Japan against the British. "It is a complex view from South and Southeast Asia," Mr. Bose said. "There is some degree of gratitude for the help that the Japanese provided, to the extent that such help was provided. At the same time, there was also grave suspicion of Japan." Still, Subhash Chandra Bose and the Indian National Army, a popular armed force formed by Indian anticolonialists, accepted assistance from Japan. "Judge Pal, as an Indian, would have known all about this," Mr. Bose said. "And it may have indirectly influenced his views."面倒くさいので大意のみとしますが、要するにチャンドラ・ボースが日本の支援を仰いだのは、敵の敵は味方だという論理であるっと、そしてそれは支援には感謝しながらも日本の本音に対する猜疑を捨てきれなかった南アジア、東南アジア人独特の屈折した受け止め方であり、パール判事の言動にはそういう共通の認識や感情が反映していたんだろう、こんな感じですね。
いつものような歪曲は見られず、大西哲光の書いた記事としてはなんともマトモです。(大爆
そして余談ですが、「Let's Blow! 毒吐き@てっく」はまだ「またオオニシだ!」で更新が止まったままですが、どうしちゃったんでしょ?
かたや大西はこんなに元気いっぱい記事を書いているちゅうのにね。(藁
このまま沈黙してると疑惑は事実になっちゃうぞ。
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