軍国少年の半世紀、そして結局...
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我が国で2回目、冬期では始めて開催されたオリンピックが札幌オリンピック(1972年)。
この頃まだ僕はぎりぎり十代だったから時間も結構あって、テレビで放映があればほとんど見ていた。
いまでも心に残るのはジャンプでの笠谷さんを初めとする日本人選手の活躍で、「日の丸飛行隊」というキャッチには些か違和感をおぼえながらも喝采を送ったものだ。
そして外せないのがジャネット・リン、嘗ても以後もこの人ほど日本人の人気を得たスケーターはいないんじゃないかと思うわけで、その証として、冬季五輪が終わり、選手村が公営住宅として開放されてずいぶん経ってからも、開催当時その部屋に投宿した彼女の書いた壁の落書きが異様な好感を以て話題になったものだ。
果たしてまだあの建物が、あるいは落書きが保存されているか否かはいまでは確かめるすべもないけれども、とにかくそれほど多くの人に愛された。
そして札幌オリンピックといえば、僕にはもう一つ外せないものがある。
それは開催に先んじて1971年に発表されたキャンペーン用のテーマ曲「虹と雪のバラード」なんだが、トワ・エ・モワが唱ったものがとんでもなくヒットしたものだ。
僕はもともとが山室(現姓白鳥)英美子さんのファンであったんだけれども、ほかの曲は今更聴きでもしない限り思い出さないのに、この曲だけはいまだにフルコーラス唱えるんだな。(笑
実はこれは後年知ったんだけれども、この曲は何組かの競作で発表されたんだそうだが、僕は当時そのことを知らなくて、てっきりこれはトワ・エ・モワの曲だと信じて疑いもしなかった、それほどに「トワ・エ・モワ」の曲だった。
さて、トワ・エ・モワの数あるヒット曲の中で何故この曲だけをいまだにフルコーラスおぼえていて、ふと気づくと口ずさんだりしているほどに印象深かったか、これにはほぼ二つの理由があると思う。
先ず第一はトワ・エ・モワというユニットの特性なんだが、このユニットの他の多くの曲では、後ろでハモっている相方の芥川澄夫さんの声はほとんど聞こえない。
ところがだ! この曲に限っては、サビの部分でハモっている彼の声がしっかり聞こえる!
さらにだ! この曲には彼のソロの部分まである!
なんとこの曲はトワ・エ・モワの芥川澄夫がぢつわシンガーであったということを世に知らしめた最初の曲だったのだ!(最後の曲でもあるけど...)
そしてもう一つ、それはやはりこの曲の詩だと思う。
この曲が出来上がった些細な経緯に関しては、つい最近トワ・エ・モワが再結成とかで揃って出ていたNHKラジオの番組の中で知ったんだけど、作詞が先だったそうだ。
そして詩を書いた方が河邨文一郎(故人)さんといい、北海道在住のお医者で詩人をされていた方だそうだ。
実際この方は北海道の振興であったり札幌五輪の開催であったりに心を砕かれた方のようで、そういう話を聞くと、あの曲の詩がくどさなく札幌に対して熱っぽいところが理解できたような気がする。
参考までに「虹と雪のバラード」詩碑建立期成会のサイトから歌詞を引用させていただくが(註:承諾済み転載)
1.虹の地平をあゆみ出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗、叫び、そして唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちのあいだに眠っている北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと
2. 雪の炎にゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? 力? それとも恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の真下に
生まれかわるサッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
生まれかわるサッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
こんな詩は真剣に北海道、あるいは札幌を愛し、その行く末を案じる人じゃないと書けないと思うんだな。
NHKから河邨さんに作詞の依頼があり、出来上がった河邨さんの詩に、当時のヒットメーカーで慶応義塾OBの村井邦彦さんが曲をつけた。
こういう経緯のようです。
少なくともこの頃は北海道の人達は未来に希望を持てたんでしょうね。
前に書いたかもしれませんが、僕は数年前に真冬の北海道を徒歩で2ヶ月間ほど旅したことがあります。
映像で見ていると、冬の北海道の風景は限りなく美しいんですが、ほぼ全泊野営で原野を彷徨ってみるとその果てのない厳しさが解りますね。
そのことは北海道の大都市である札幌でも旭川でも小樽でも函館でも決して例外じゃないんですよ。
本土の他の府県に対して物凄いハンディキャップを負っていることが解ります、これは経済的にも物理的にもですね。
そういうところに顧みるところのある人が殆どいない中、北海道から故佐藤孝行さんや鈴木宗男さんが出てきてしまうことはある意味しょうがないと思うし、それは中央政府の過失だと思いますね。
最近洞爺湖でサミットが開催されることが決まり、アンチ小泉・安倍を口にする人達から色々と批判が起きてはいますが、たとえ一過性のサミットでも良い、とにかくなんでも良いから北海道に金が落ちるようにしなければ辺疆の護り、これは沖縄にも対馬にも同じことが言えると思いますが、そういうところが腐蝕してゆくそんな気がします。
僕は北海道を旅している最中にたまに出会う道産子と色々の話をしてきました。
例外なく彼らは僕を「本土の人」と呼ぶのです。
この頃まだ僕はぎりぎり十代だったから時間も結構あって、テレビで放映があればほとんど見ていた。
いまでも心に残るのはジャンプでの笠谷さんを初めとする日本人選手の活躍で、「日の丸飛行隊」というキャッチには些か違和感をおぼえながらも喝采を送ったものだ。
そして外せないのがジャネット・リン、嘗ても以後もこの人ほど日本人の人気を得たスケーターはいないんじゃないかと思うわけで、その証として、冬季五輪が終わり、選手村が公営住宅として開放されてずいぶん経ってからも、開催当時その部屋に投宿した彼女の書いた壁の落書きが異様な好感を以て話題になったものだ。
果たしてまだあの建物が、あるいは落書きが保存されているか否かはいまでは確かめるすべもないけれども、とにかくそれほど多くの人に愛された。
そして札幌オリンピックといえば、僕にはもう一つ外せないものがある。
それは開催に先んじて1971年に発表されたキャンペーン用のテーマ曲「虹と雪のバラード」なんだが、トワ・エ・モワが唱ったものがとんでもなくヒットしたものだ。
僕はもともとが山室(現姓白鳥)英美子さんのファンであったんだけれども、ほかの曲は今更聴きでもしない限り思い出さないのに、この曲だけはいまだにフルコーラス唱えるんだな。(笑
実はこれは後年知ったんだけれども、この曲は何組かの競作で発表されたんだそうだが、僕は当時そのことを知らなくて、てっきりこれはトワ・エ・モワの曲だと信じて疑いもしなかった、それほどに「トワ・エ・モワ」の曲だった。
さて、トワ・エ・モワの数あるヒット曲の中で何故この曲だけをいまだにフルコーラスおぼえていて、ふと気づくと口ずさんだりしているほどに印象深かったか、これにはほぼ二つの理由があると思う。
先ず第一はトワ・エ・モワというユニットの特性なんだが、このユニットの他の多くの曲では、後ろでハモっている相方の芥川澄夫さんの声はほとんど聞こえない。
ところがだ! この曲に限っては、サビの部分でハモっている彼の声がしっかり聞こえる!
さらにだ! この曲には彼のソロの部分まである!
なんとこの曲はトワ・エ・モワの芥川澄夫がぢつわシンガーであったということを世に知らしめた最初の曲だったのだ!(最後の曲でもあるけど...)
そしてもう一つ、それはやはりこの曲の詩だと思う。
この曲が出来上がった些細な経緯に関しては、つい最近トワ・エ・モワが再結成とかで揃って出ていたNHKラジオの番組の中で知ったんだけど、作詞が先だったそうだ。
そして詩を書いた方が河邨文一郎(故人)さんといい、北海道在住のお医者で詩人をされていた方だそうだ。
実際この方は北海道の振興であったり札幌五輪の開催であったりに心を砕かれた方のようで、そういう話を聞くと、あの曲の詩がくどさなく札幌に対して熱っぽいところが理解できたような気がする。
参考までに「虹と雪のバラード」詩碑建立期成会のサイトから歌詞を引用させていただくが(註:承諾済み転載)
1.虹の地平をあゆみ出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗、叫び、そして唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちのあいだに眠っている北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと
2. 雪の炎にゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? 力? それとも恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の真下に
生まれかわるサッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
生まれかわるサッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
こんな詩は真剣に北海道、あるいは札幌を愛し、その行く末を案じる人じゃないと書けないと思うんだな。
NHKから河邨さんに作詞の依頼があり、出来上がった河邨さんの詩に、当時のヒットメーカーで慶応義塾OBの村井邦彦さんが曲をつけた。
こういう経緯のようです。
少なくともこの頃は北海道の人達は未来に希望を持てたんでしょうね。
前に書いたかもしれませんが、僕は数年前に真冬の北海道を徒歩で2ヶ月間ほど旅したことがあります。
映像で見ていると、冬の北海道の風景は限りなく美しいんですが、ほぼ全泊野営で原野を彷徨ってみるとその果てのない厳しさが解りますね。
そのことは北海道の大都市である札幌でも旭川でも小樽でも函館でも決して例外じゃないんですよ。
本土の他の府県に対して物凄いハンディキャップを負っていることが解ります、これは経済的にも物理的にもですね。
そういうところに顧みるところのある人が殆どいない中、北海道から故佐藤孝行さんや鈴木宗男さんが出てきてしまうことはある意味しょうがないと思うし、それは中央政府の過失だと思いますね。
最近洞爺湖でサミットが開催されることが決まり、アンチ小泉・安倍を口にする人達から色々と批判が起きてはいますが、たとえ一過性のサミットでも良い、とにかくなんでも良いから北海道に金が落ちるようにしなければ辺疆の護り、これは沖縄にも対馬にも同じことが言えると思いますが、そういうところが腐蝕してゆくそんな気がします。
僕は北海道を旅している最中にたまに出会う道産子と色々の話をしてきました。
例外なく彼らは僕を「本土の人」と呼ぶのです。
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