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軍国少年の半世紀、そして結局...
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 1300万人の人口の内の1/4がロシア系エストニア人で、さらにその半分、全人口の1/8はエストニア国籍のないロシア人なのです。
そしてそれら少数民族「ロシア系エストニア人」「在エストニアロシア人」が騒いでここまでの騒ぎになっているんですね。

 そして、在モスクワのエストニア大使館は暴徒に包囲されたままになっていて、石やペンキが投げつけられて建物は酷い状態になっているし、約20人のエストニア人がその中に雪隠詰めになったまま非常に危険な状態にあるらしいのにロシア政府は故意に放置している、これはかつて瀋陽や上海にあった光景と同じですね。

 さて、赤軍戦没者記念碑を撤去すればこういう騒ぎになるのが解っていてなぜエストニアはここまでやるかと言えば、それはロシアという集団に対する怨念と恐怖なのであり、これを共有しているのがやはりミサイル防衛システム配備のレーダー施設で騒動になっているチェコやポーランドだと思います。

 参考までにエストニアの歴史をひもといてみると

1918年 帝政ロシアから独立
1940年 ソヴィエト・ロシアに併合される
1941-1944年 ドイツ(第三帝国)により占領される
1944年 ドイツ撤退によりソビエト・ロシアに復帰
1991年 ソヴィエト・ロシア崩壊により分離独立
1994年 最後の赤軍部隊が撤退


なんともめまぐるしく支配者が変わっているわけですが、ポーランドも似たような目に遭っているわけですね。

 だからポーランドとしてはロシアが攻めてこない担保が欲しい、それがNATO加盟であり基地提供の希望なんですが、エストニアってのはもっと孤独な闘いを強いられてて、とにかくヒステリックにロシア的なものを排除してしまいたいわけですよ。
まだ彼らには独立も平和も来た気がしないということなんでしょうが、そういう心情ってのは他国に占領された経験を持ちながらも占領であったという意識すら持てなかった、そしていまもいくつかの島嶼を隣国に不法に占拠されていながらもそのことを重大には受け止められない平和惚け日本人には理解の及ばないところですが、最初の段に書いたエストニアの人口に対する「敵性帰化者」と「敵性外国人」の比率を見、そのロシアを違う国名に置き換えた場合少しはリアリティーが湧くんじゃないですか?

 占領時にロシアもソ連も積極的に植民をやったわけですね、それがこういう構成に至らしめている。
そして併合中はそういう少数民族のロシア人とロシア系の連中が幅を利かせてやりたい放題をやったわけですから、その怨念なんてものは旧ユーゴの分裂解体のエネルギーにも相当するんだろうし、いまイラクで行われている宗派間、部族間闘争にも匹敵すると思います。
そして日本もある意味似た状況にあると思うんですが、ダメな国民ですね、なんのエネルギー反応もなく、安部ちゃんの支持率が上がっちゃいました、やっぱし植民地であることが好きなんでしょうか?

 

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