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軍国少年の半世紀、そして結局...
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葉山「ラ・マーレ・ド・茶屋」、父の日にスペシャルメニュー

 17日といえば今日なんだがね、僕の娘はなにも言ってこない。w
ちなみに昨日は朝から夕方まで連れ回された挙げ句に銀座のアップルストアでi-Podのでかいやつを買わされた。

 i-Podは昨年大学に進学した時にナノを買ってやったんだが、どうも1年ですでに記憶容量が激しく拡大しているようで、「使えない」んだそうだが、真偽の程はよくわからない。
「パパも買えば?」っと言うんだが、なにしろ僕は関心がないし使い場もない。
そこを娘に言わせると、「車のCDプレーヤーが単装だから面倒くさい」、「今やI-PodからFM波でカーコンポの受信機に飛ばすオプションがサードパーティーからでているん」だそうだが、僕はラジオとテレビがいい。

 さて、父の日ね。
 僕は「母の日」はもちろんのこと「父の日」の根拠由来がわからないので調べてみたんだが、Wikipediaによれば

1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、彼女を男手1つで自分をそだててくれた父を覚えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。ドット夫人が幼い頃南北戦争が勃発。父、スマートが召集され、ドット夫人を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でスマートの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、スマートも子供達が皆成人した後、亡くなった。1916年アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンの時に父の日が認知されるようになる。1972年(昭和47年)になり、アメリカでは国民の祝日に制定される。

なのだそうで、なんだよ、やっぱりでどころはアメ公じゃないのさ。
そしてここには「日本では1950年代ごろから知られるようになったが、母の日に比べると一般的な行事とは言えない。」とも書いてあり、これには大いに納得したわけだが、要するにクリスマスと同じで、金にならないものは持て囃されんぞっと、そういうことなのね。w
だったら僕はけっこう。

 茶屋とかチャヤって言うと僕の直系親族の場合は娘の誕生日、娘の母親の誕生日、娘や娘の母親が何事か僕に相談がある場合に限られ、それなりに結構大切な場所なんだけど、何故大切かといえば、僕と娘の母親の思い出があの界隈、つまり鐙摺周辺には一杯つまっているからであり、茶屋やチャヤの料理が格別に旨いとか値段相応に旨いとかそんなことではない。

 ちなみに父の日スペシャルメニューだけど

「鰹のカルパッチョ」「アイナメのフリット 賀茂なす添え 香草風味」「和牛ロースのグリエ 三浦野菜添え 西洋わさび風味」など全6品。価格は8,400円

だそうだ。
鰹は旨そうだが、果たしてカルパッチョに向くかというと??で、寧ろタルタルの方が良いんじゃないかという気がせんでもないし、アイナメ、これは鱸同様に今が旬なんだからフリットじゃ勿体ない、ポワレだろう、そんな気がする。
肉料理なんてなものは僕はどうでも良いんだが、ここの取り柄は隣が漁港だということで、旬の地物に限っては良いと思う。

 でお値段ですが、これにドリンクがついたいるにしてもやはり都心に比べても高い。
これがいわゆる葉山価格ってもんですね。


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